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Concept
~「存在認知」のためのポートレート ~ Portrait for Existence Recognition

人の心はストロークがないと生きていけない。

心理学用語でいうストロークの定義とは「あなたがそこにいることを、私は知ってる」。

誰も教えてくれない、人が健康的に生きていく上で最も大切でminimalな「存在認知/STROKE」をコンセプトに、写真と心理学の専門的知識と技術を用いて撮影するポートレート。

そこにはまだ多くの人が気づいていない写真の力と可能性がある。

「存在認知」についてのもう少し詳しい説明はこちら

一枚のポートレートには勇気や癒し、気づきを与えてくれる力があります。

社会の中で生きる肩書きを持つ者としての想い。

家族としての想い。

あるいは、ひとりの人としての想い。

これまで考えもしなかった「存在認知/STROKE」を知り意識することにより、

時間の経過とともに、ゆっくりと、自己一致(純粋性)や自己受容、他者承認へと繋がっていく。

また時にそれは自己治癒力や自己回復力の向上、あるいはグリーフケアにもなり得るもの。

人の心・人生を変える可能性を持つ「存在認知/STROKE」のためのポートレート... 

あなたの欲しい答えは、その一枚の中にあります。

~ ポートレートが持つ力と可能性 ~ The power and potential in Portraits 

パリでのアーティスト活動を経て、著名人やタレントのポートレート撮影から一般の方々のポートレート撮影まで、30年の経験を持つフォトグラファーが心理学を学び臨床心理カウンセラーとしても12年活動した結果たどりついた、ひとつのポートレート。

写真と心理学の専門的知識と技術を用い「存在認知/STROKE」をコンセプトに撮影されたそれは、人の心にポジティブな影響を及ぼし、被写体ご本人やその大切な方々に勇気や癒し、気づきを与え、その力はやがて小さな習慣を変え、人を変え、人生をよりポジティブに変えていくきっかけと可能性があると、これまでの経験から考えるようになりました。

 

少し専門的ですが、撮影を経て、仕上がったポートレートを眺め、想いを馳せ、感じ、気づきを得るまでの過程を通して、意識的あるいは無意識的にも行われる「存在認知/STROKE」は、自己一致、自己受容、自己肯定感、自己変容、他者承認などに繋がるきっかけや可能性であったり、状況によっては自己治癒力や自己回復力の向上、または大切な人を亡くした方々の喪失感を軽減するためのグリーフケアの要素も兼ね備えていると私は考えます。

 

しかしそれにはポートレート撮影の過程も非常に重要であり、その過程は撮影後あるいは仕上がった写真を眺めるご本人の捉え方や感じ方にも大きく関わってきます。

 

撮影について端的に言うと、被写体に対して嘘がなく、共感的理解を踏まえた上での肯定的な撮り方であったり、撮り手側である私自身が純粋な(自分に嘘のない)状態でシャッターを切ることを意識しています。

被写体のリズムやペース、情緒を感じながらも、私自身はそこに居るようでそこに居ない、そこに居ないようでそこに居る、その様なスタンスで撮影を行なっていきます。

 

そのため私のところには写真撮影が苦手というご依頼者も少なくありません。

 

撮影の過程や自分が描写された写真を眺めた時に「私はこのままでいいんだ」「こんな自分もいるんだ」「自分が好き、愛おしい」「私って素敵、可愛い、美しい、かっこいい」「よく頑張ってる」「なんか心地よい」「もっともっと素敵になれる」「この感覚… 思い出してきた」「こんな体験は初めて」「ちょっと恥ずかしいけど、何か良い!」「楽しい!」など、この様な感覚や何かしらの気づきを感じていただけたなら、私は嬉しく思います。

 

心理学的アプローチとして、人の内的・情緒的部分にプラスのストロークを投げかけることで、人の心はよりポジティブとなり、それそのもが顔・外見、あるいは表情・仕草、言語や行動にも現れる。

それと同時に明確に被写体を写し出すポートレート撮影を用いることで、その人の存在そのものが描写され私のコンセプトである「存在認知/STROKE」のためのポートレートに至ることが可能なのだと考えています。

 

私は自分自身がアーティストだとは思っていませんが、アートは存在すると考えます。

私が考えるそのアートとは、人が変わる瞬間それそのもの。

撮影の過程や共有した時間も含めポートレートが与える勇気や癒し、気づきによって人がよりポジティブに変わる瞬間が訪れたなら、その時間、その空間そのものが二度と訪れない貴重なアートであり、その瞬間を描写したポートレートもまた何物にも替えられない尊いものであると私は感じています。

 

撮影したポートレートを大きくプリントしリビングやお部屋などに飾ってみる。

そこには自分や大切な人、あるいは家族が描写されています。

日常の中で大切な自分や大切な人の存在が描写されたポートレートを眺め、そこにある存在に想いを馳せ、それにより意識的にも無意識的にもストロークが与えられ、また気づきがある。

その時間その過程を共有しながら人の心はゆっくりとポジティブな方向へと進み、充実感や幸せを感じられる心の状態となる(存在認知/STROKE)。

あるいはそれらのストロークや気づき、時間の共有と過程を経て、不安や寂しさが軽減され、ゆっくりと受け入れ、安定した心の状態へと近づいていく(グリーフケア)。

 

これが写真の可能性であり、ポートレートが持つ力。

著名なアーティストの作品を飾ることも素敵ですが、自分自身や大切な人、または家族の存在そのもが描写された質の高いポートレートを大きくプリントし作品として飾ってみる。

それにより自分や大切な人の心がよりポジティブな方向へと進み、より充実した人生を過ごすことができたなら、それこそがその人達にとっての本当のアートなのだと、私はそう考えています。

~ 嘘のない、純粋性を描写するポートレート ~ Portrait depicting purity

他者との信頼関係を構築するにあたり1番大切なものである自己一致。

他者との信頼関係などと聞くと他者に対しての何かしらのアプローチを考えるかもしれませんが、先ず最初に意識することは自分自身の自己一致。

自己一致を簡単に言うと、感じている、思っている、考えていることなど自分の中に在るものと外に現す言葉や仕草、行動が一致していること。

またはその自分の中に在るものを外に現わす時の言葉や仕草、行動が意識できていること。

故に自己一致は「純粋性」とも言われています。

僕自身も臨床心理学を学んだ以降の14年間、今でもずっと自己一致(純粋性)を日々意識しながら生活していますし、心理学のレッスンやカウンセリングでのレクチャーにおいても頻繁にお伝えする最も大切なスキル(個人的に自己一致はスキルと言っても良いかと)のひとつです。

そして本職であるポートレート専門のフォトグラファーとしても、被写体と関わる前に先ず自身の純粋性を意識した上で、『自分に対しても、被写体に対しても、嘘のないシャッターを切る』ことに努めています。

撮り手側である僕が自分自身の純粋性を意識しながら、他者(被写体)の純粋性を描写することに集中する。

それは被写体となった体験者のみが感じることができる、ちょっと不思議な感覚のポートレートかもしれません。

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