top of page
検索

An agonizing process

もう数十年の間、私は「表出」に近いところで作品が撮れていないことに葛藤しています。

もちろんポートレートという仕事においては、これまでの人生経験そのものを落とし込めていて自分らしいパフォーマンスを発揮していますが、若い頃に撮っていたような素直に表出が乗ったもの、いわゆる仕事以外での作品が数十年も撮れていません。


せっかくなので56歳という今この年齢で撮れる「表出」を写真という眼に見えるカタチにしたいのですが、自分の表出を乗せられる被写体は何かを探している状況です。


それ以前に、

捨てられるものの全てを捨て、死にも似た感覚の中で自分と向き合い、全てを受け入れた… という人生最大の経験以降は、表出するという感覚そのものがよくわからなくなっている様な気もします。


ここしばらく薄っすらとイメージできているのは「苦悩する美しさをポートレートに、あるいはスティルライフで表現したい」。

これはリアルタイムに自分自身もその状況にあるという現れでもあり、その簡単ではない被写体の選択や自分自身の作品に求めるクオリティの部分でのハードルの高さと対峙しながら、今私は叫びたくなるほどもがいています。


フォトグラファーとして、またひとりの人としての私のコンセプトである


【存在認知】

「あなたの欲しい答えは、その一枚の中に在る」


その言葉を発信する側にいる者として、その理論を知り、展開し、ポートレートを提供する者として、今の私は自分自身のポートレートの中に、自分自身の答えをあえて描写する義務があると考えます。


リアルタイムで向き合い葛藤している今ここの「表出」においての「苦悩」を写真という手法で視覚化できればと思うのですが…

その一枚の中に答えを描写するには、まだ少し時間がかかりそうです。


記事 : Photographer MAL / 丸本祐佐




フォトグラファーMAL、ポートレートと心理学、存在認知
Self-Portrait ©︎MAL1990


Comments


bottom of page